共依存とは、人間関係において「助け過ぎ」てしまうことを指します。困っている人を助けることは「親切」だと考えることに、疑いの目を向けることは少ないですが、それが行き過ぎてしまうと問題が生じます。つまり、「助け過ぎる」ことの落とし穴が、共依存なのです。
共依存とは
相手との関係に依存し過ぎ、例えば「この人は自分がいないとダメになってしまう」「私が助けなければ」など、自分の役割を関係の中に見出し、役割から降りれない、離れられなくなる状態を指します。さらに相手が問題を抱えている場合、自己犠牲を払ってでも「助けること」で、関係が維持されます。ところが、問題は解決するどころか複雑に絡み合い、八方塞がりになります。そして、次第に相手と自分の境界線が曖昧になっていきます。相手が抱えている問題や感情が、まるで自分のことのように感じ、同化していくのです。このあたりは、会話をしていると、主語が抜けていることで気づきます。例えば「少し怒った口調でやめてほしいと言ったら、嫌な表情を見せて、そのうち部屋を出ていった」という会話があったとします。これだけ見ると、2人のやりとりかと思いますが、実は3人が関わっていて、やめてほしいと言ったのが誰で、嫌な表情を見せたのが誰で、部屋を出ていったのが誰か、という確認をしないと、辻褄が合わない話になっていくことがよく起こります。感情や問題の整理が曖昧なため、問題の全容がなかなか浮かび上がってこないのです。このあたりのことをまとめると、以下の様になります。
共依存の特徴
相手の問題に巻き込まれる
相手が抱える問題(お酒・ギャンブル・薬物・借金・性依存・暴力・引きこもりなど)に過剰に巻き込まれてしまい、一緒になって泥沼に沈んでいく様な体験をしたり、なかなかそこから抜け出せなくなります。
自分を後回しにする
自己犠牲的に相手に尽くす様になり、自分が苦しくても、本当はしたくないことでも、全て後回しにします。
相手に変わってもらおうとコントロールする
例えば、お酒を飲み過ぎて問題を起こす夫に、お酒をやめるようにいい、「今度飲んだら離婚する」と言ったり、隠れて借金をしている恋人の返済を肩代わりをし、お金の管理(返済計画や使い方など)をしようとしたり、など。どれも相手に変わってもらいたいと願うあまり、次第にコントロールする様になっていきます。
相手に必要とされないと不安になる
本来、世話をすることが好きで、手を出し過ぎてしまうところがあります。男女関係であれば、相手の要求をいち早く察知して、尽くすことを厭いません。子育てであれば、過保護・過干渉の特徴を示します。それはある意味、相手に必要とされることで生きがいを感じる傾向が強く、反対に、必要とされなくなると不安に襲われるのです。
具体的な共依存の例
わかりやすい例でいえば
◉お酒や借金をやめられないパートナーを支えるうちに、自分の人生を犠牲にしてしまう
◉子どもの問題をすべて親が肩代わりをしてしまい、子どもの自立を妨げてしまう
◉問題のある恋人なのに別れられず、何度もよりを戻してしまう
などがあげられます。
これらの共通点は、助けているつもりが、いつの間にが「依存」になっていることにあります。
なぜ共依存に陥ってしまうの?
共依存関係に陥ってしまうのには、理由があります。
そもそも心の中に空虚感を抱いており、その空白を、無意識に他人との関係で埋めようとしてしまうのです。
それには背景があり、幼少期の生い立ちまで遡ると、徐々に明らかになってきます。例えば、
・機能不全の家庭で育った経験
・幼少期に「いい子」でいなければという思い込み
・心が傷つく体験(トラウマ)を抱えている
・自尊心が低い
・不安定な愛着スタイルを持つ など
共依存からの抜け出すためには
共依存は、相手と自分の関係の中で起こります。関係性の境界が曖昧になってしまい、助け過ぎてしまうことで、不健康な状態を作り出していくのです。そのため、自分を取り戻すことが重要になります。
◉自分の感情に気づく
◉自分のしたいこと、願いに気づく
◉常に「これは誰の問題?」と問いかけ境界線を引く
◉相手が取るべき責任や問題は相手のものであり、自分のものではないと言い聞かせる
◉カウンセリングを受ける(または自助グループに参加する)
中でも一番大切なのは、ご自分と向き合うことです。
ご自分をおろそかにしてきている方が多く、それは、相手との関係に夢中になることで、自分と向き合うことを避けてきたともいえるのです。なので「自分を知る」「自分と向き合う」ことは必須になるのです。
一人ではなかなか難しいと思うので、専門家の力を借りることも、とても重要な点だと思います。
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